なんでも楽しくチャレンジ:arles1988’s blog

いくつになっても、色々なことに興味が尽きません。あれこれチャレンジする日々です。

「バカ」の壁 養老孟司

 「自分の壁」を読んだ後、色々な本をドサッと閉まっていた箱を

ガサガサしていたら、「バカの壁」が出てきました。 

 

   

たしか、2004年頃に読んだなぁ、という記憶が・・・

パラパラめくっていると、

V・E.・フランクルの「夜と霧」について触れている箇所がありました。

 

理想の共同体

彼は、一貫して「人生の意味」について論じていました。

そして、「意味は外部にある」と言っている。

自己実現」などといいますが、自分が何かを実現する場は

外部にしか存在しない。

より噛み砕いていえば、人生の意味は自分だけで完結するものではなく、

常に周囲の人、社会との関係から生まれる、ということです。

とすれば、日常生活において、意味を見出せる場はまさに共同体でしかない。 

 

人生の意味

 フランクルは、強制収容所といういつ殺されるかもわからない状況下で、

「生きるとはどういうことか」という意味について考えてきた。

そして彼の人生の意味は

「他人が人生の意味を考える手伝いをする」ことでした。

ガンの末期で寝たきりになった患者にとっての生きる意味を

彼は問います。

医者によっては、そういう人にはもはや生きる意味は無い、

と判断するかもしれません。

しかいフランクルはこう考えました。

「その人が運命を知ったうえで取る態度によって、

周囲の他人が力づけられる」という意味があるのだ、と。

人生の意味、という問題は、今でも非常に重要です。

ドラッグが流行っていることから見ても、

人生は無意味だと思っている現代人が多いように見えます。

人生の意味について考えていくことが、

他人にとっても共同体にとっても、

非常に必要なことなのではないか。

 

苦痛の意味 

人生の意味を考えることはそう簡単なことではないかもしれません。

なかなか答えがでるわけではない。

正解が用意されているわけではない。

「人生は無意味だ」と割り切った方が、当世風で楽kに思えます。

しかし、それを真面目に考えないことが、共同体はもちろんのこと、

結局のところ自分自身の不幸を招いている。

病気の苦しみには何か意味があるのか。

医師のなかには、そんなものには何の意味も無いとして、

取り去ることを至上のこととする人もいるでしょう。

しかし、実際にはその苦痛にも何か意味がある、と考えるべきなのです。

苦痛を悪だと考えてはいけない。

そうでないと、患者は苦痛で苦しいうえに、

その状態に意味が無いことになって、二重の苦しみを味わうことになる。

「苦痛に意味がある」というのは宗教的な考え方で、

場合によってはいわれの無い社会的な差別のようなものまでを

必然としてしまうという危険な面もあります。

それでもやはり、たとえ苦痛にでもプラスの面もある、

という多面的な考え方は必要なのです。

年々、自殺者が増えているということは、

直接的には不況などが原因になっているとはいえ、

突き詰めれば人生に意味を見出せない人が増えている、

ということに他なりません。

実際には意味について考えつづけること自体が大切な作業なのです。

フランクルの言葉を借りれば、

人生が常に私たちにそれを問うているのです。

 

そういえば、「夜と霧」の中に、生きる意味について語られているところが

あったなぁ、と思い出しました。

引用は次回にしておきます。

 

なにごとにも、意味があってほしい、と思います。

自分に起きたこと、

自分がしたことを

無駄にしたくないですからね

こじつけでもなんでも、ポジティブに意味付けをしたいです。

 

f:id:nov172017:20180322000353j:plain