なんでも楽しくチャレンジ:arles1988’s blog

いくつになっても、色々なことに興味が尽きません。あれこれチャレンジする日々です。

「夜と霧」ヴィクトール・E・フランクル

  

学生の時に読もうかと思いながら、手に取ることはありませんでした。

ユダヤ人虐殺という歴史上の悲劇の実体験を

活字で読み通せるか、自信がなかったことが理由です。

 

ですが、ちょうど1年前に、

「お薦めです」とわざわざ持ってきてくださった方がいました。

これはいい機会だとすぐに読み始めました。

 

人間は苦しみと向き合い、

この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度 、

そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識にまで

到達しなければならない。

だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。

この運命を引き当てたその人自身が

この苦しみを引き受けることに、

ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。

 

わたしたちにとって、

「どれだけでも苦しみ尽くさねばならない」ことはあった。

ものごとを、つまり横溢する苦しみを直視することは

避けられなかった。

気持ちが萎え、ときには涙することもあった。

だが、涙を恥じることはない。

この涙は、苦しむ勇気をもっていることの証だからだ。

 

わたしは、ひとりの仲間について語った。

彼は収容所に入ってまもないころ、天と契約を結んだ。

つまり、自分が苦しみ、死ぬなら、

代わりに愛する人間には苦しみに満ちた死を

まぬがれさせてほしい、と願ったのだ。

この男にとって、苦しむことも死ぬことも

意味のないものではなく、

犠牲としてのこよなく深い意味に満たされていた。

彼は意味もなく苦しんだりすることを望まなかった。

わたしたちもひとり残らず、意味なく苦しみ、

死ぬことは欲しない。

この究極の意味をここ、この居住棟で、今、

実際には見込みなどまるでない状況で、

わたしたちが生きることにあたえるためにこそ、

わたしはこうして言葉をしぼりだしているのだ、

とわたしは語り始めた。 

 

1年前にKindleを購入したので、kindle版を買いました。

   

 

時折読み返すと、原点に立ち戻り、軌道修正ができます。

見失いそうになる前に取り戻し、

腐りそうな心を立て直せます。

繰り返しですね。

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