なんでも楽しくチャレンジ:arles1988’s blog

いくつになっても、色々なことに興味が尽きません。あれこれチャレンジする日々です。

「自分」の壁 養老孟司

    

 

「人生はゴツゴツしたもの」

効率よく答えを見つけるのではなく、自分で問いを設定する。

そういう作業は苦しいといえば苦しいかもしれません。

しかし、私はある種の苦しさ、つまり負荷があったほうが

生きていることを実感できるのではないか、と考えています。

それが生きていることなんだろう、と。

 

「自分の胃袋を知る」

食べられればとても身体にいいものであっても、

胃袋がそれに耐えられなければ、かえって体調を崩してしまいます。

たとえ不老長寿になれるような食べ物でも、

胃袋よりも大きければ、害になります。

仕事にしても、身の丈にまったく釣り合わないような大きなものにまで

手をつけると、結局は失敗してしまいます。

それだけではなく、そのことがトラウマになって、

人生を長い間無駄にしてしまうことがあるかもしれません。

特に若い人は、そのあたりの加減がわからないので失敗するかもしれません。

だから、自分の「胃袋」の強さを知る必要があるのです。

では、それを知るためにはどうすればいいのか。

やはり絶えず挑戦をしていくしかないのです。

あまりに安全策を採り続けていては、

「胃袋」の本当の強さもわからないし、

より強くすることもできません。

運動選手が体を鍛える際のことをイメージすればわかりやすいでしょう。

あまりに筋肉に負担をかけ過ぎては体が壊れてしまいますし、

楽をしすぎては成長しません。

常に他人とかかわり、状況を背負うということをしているうちに、

なんとなく自分の「胃袋」の強さが見えてくるのです。

 

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「自信を育てるのは自分」

自分がどの程度まで飲み込むことができるのか。

さまざまな人とつきあうことは、それを知るために役に立ちます。

こういうことを学ぶ上では、時に学校教育は邪魔になります。

標準を決めて試験で優劣を決めることはできても、

世の中を生きていくうえでは、

それ以外のことのほうが大切な場合が、ほとんどだからです。

他人とかかわり、ときには面倒を背負い込む。

そういう状況を客観的に見て、楽しめるような心境になれれば相当なものでしょう。

自分がどこまでできるか、できないか。

それについて迷いが生じるのは当然です。

特に若い人ならば迷うことばかりでしょう。

しかし、社会で生きるというのは、そのように迷う、ということなのです。

どの程度の負担ならば、「胃袋」が無事なのか、

飲み込む前に明確にわかるわけではありません。

その意味では、運に左右されるところもあるし、

賭けになってしまう部分もあるでしょう。

なにかにぶつかり、迷い、失敗し、ということを繰り返すことになります。

しかし、そうやって自分で育ててきた感覚のことを「自信」というのです。

 

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昔、「バカの壁」をよみました。

       

 

「自分の壁」の方が、読みやすいし分かりやすいです。

バカの壁」は、流れるように進むので、??? この部分のテーマは?

なんてことになります。

 そこが、養老先生の文章の面白さでもあります。