なんでも楽しくチャレンジ:arles1988’s blog

いくつになっても、色々なことに興味が尽きません。あれこれチャレンジする日々です。

「余計な一言」齋藤 孝(新潮新書)

「余計な一言」齋藤 孝

 

        

 

会話が上手な人、下手な人、どちらが多いかな?と考えてみると、日本では下手な人の方が多いように思います。

一緒に話していると楽しい、というのはとても大切です。

そう思えるのは、ほとんどの場合、聞いてくれる人が否定をしないからだと思います。

「そうだね、そうだよね」

「うんうん、そういうのは困るよね」

「それもそうだね。いいと思うよ」

「よかったね。その方がいいよね」

そんな相槌を絶妙なタイミングでしてくれているはずです。

話している側としては、自分の気持ちや考えを分かってくれたという安心感を持てるので、シンプルに気持ちがスッキリしますよね。

アドバイスは必要なく、「うんうん、そうだね」といった風に、聞いてくれればいいのです。

それが「労わり」「気遣い」「やさしさ」なのではないかなーと、日々思います。

 

話を聞きたいと思う人よりも、聞いてほしい人、話したい人の方が、圧倒的に多いので、余計なことは言わずにひたすら聞くということの方が必要だと思います。

ところが・・・・

「余計な一言」を言ってしまう人が多いこと多いこと。。。

楽しい会話、実のある会話をしようという姿勢自体が、あまりないのかもしれません。

ただただ言いたいことだけ言いたい、話したいことだけを話せばスッキリする。

単純にそう思っているのかもしれません。

「私は、こうでああで・・・」

「私の場合はね・・・・」

「私としては・・・・」

「私、私、私・・・・、私の話だけを聞いて!」

といった感じですかね・・・・

 

相手あってこその会話です。

自分の意見や気持ちをきちんと伝えることと、その時感じたこと思ったことを思いつくまま言うことは違います。

なんでも正直に言えばいいというものでもありませんしね。

 

 

よりよい人間関係や楽しい会話の潤滑油のひとつとして「褒める」ことは、とても大切です。

が、素直に褒めない人が多いなぁ、とよく思います。

直接褒めれば、相手も嬉しいのは当然なのですが・・・・。

 

「素直に褒められない人」

他人を貶めるよりも、褒めた方が、度量が大きいと思われる。そんんことは誰でも理屈ではわかっているのに、なかなかそうはできません。それは嫉妬が邪魔しているからです。

「褒める」ことは、人間関係や議論を良いものにします。しかし、自然にまかせておくと、なかなか素直に他人を褒めるようになりません。だからこそ、意識して褒める癖をつけるようにしたいものです。

他にも、あるある、そういうことある!そんな会話下手な場面が、具体的な例としてたくさん出てきます。

 

「いつも出てくる私」

とにかく自分のことを絡めないと、話が続けられない。背景には「私」の存在を知らしめたい、認めたもらいたいという強い自己顕示欲があります。

極端な場合になると、「私」を入れるだけでなく、話題そのものも、自分の話にもっていってしまう。強引に自分の話に変えてしまうこともあります。

悩みの相談をしているつもりだったのに、相手の自慢話を聞かされている人もいます。悩んでいる人の心中を慮ると、他人事ながらもやり切れない感じすらします。

自己顕示欲も恥ずかしいのですが、こういうタイプの人は、自分のアドバイスによって成果があがったのだと、本気で思い込んでしまっている可能性があります。これはさらにこわいことです。

このような勘違いが無意識に出ていないか、日頃から注意するにこしたことはありません。

つい、自慢や武勇伝につなげるというのは、すべての人が陥りがちな罠です。「私」が影響を与えているという勘違いや高い自己評価が、そのまま会話に出てきた時に、「余計な一言」が生まれてきます。

 

 よくある「オレオレアピール」でしょうか。

自分の話ばかりしたがるのは、男性に多いような気がします。

説教したがるのも男性に多いかもしれませんね(笑)

 

「無駄にネガティブ」

苦味が多すぎる。

ネガティブなことをつけ足す人がよくいます。

原因は主に二つあると思います。

一つにはそうすることで「私は長期的視点や客観的な視点をもっている」というアピールができる、と考えている。「いまはいいかもしれないが、やがてはダメになるかもしれない」ということを、先を見越して発言したいという気持ちが隠れています。

本人は賢人のつもりかもしれませんが、実際にはこのことを言ったからといって、何かがうみだされるわけではありません。むしろ、かなり無駄な言葉で、人の気分を滅入らせていく場合がほとんどです。

 いるいる、こういう人!

よくいます!

必ずコメントをつけるのです。

悪く言えば、難癖をつける。

話に水を差す。

「自分の方がなんでも分かっている」という気持ちの表れですね。

あるいは、嫉妬かもしれません。

齋藤先生は、そういう状態を「ネガティブ病」と呼んでいます。

経験豊富な中高年に多いそうです。

(やはり男性ですね・・・笑)

嫉妬がネガティブ発言の原因になることもあるそうです。

やっぱりね~

自己顕示欲と嫉妬。

 

そこで出てくるのが「雑談力」だそうです。

つまり「世間話」ですよね。

なんてことない会話が、いい関係を作るきっかけや土台になります。

私がいつも思うのは「会話」ではなく、「対話」が重要だ、ということです。

「対話」は相手とのやりとり、キャッチボールなので、一方的にどちらかが話し続けるものではありません。

「お互い様の会話」といった感じでしょうか。

なにごともお互い様。

話すのも、耳を傾けるのも、お互い様でないと、関係に歪みが生じます。

そして、否定しないで(つまり余計な一言を付け加えないで)「そうだね」と言ってあげることですよね。

 

齋藤先生には教育学者という肩書きがよく使われますが、「言葉の専門家」だと思っています。

読書好きには相通ずるものがあるので、共感できることがよくあります。

 

言葉の菓子折りを持とう

「褒めコメント」というのは、いわば、言葉の贈答品、菓子折りのようなものです。さほど美味しいお菓子ではなくても、贈答品をもらって気を悪くする人は滅多にいません。お詫びの際でも、贈答品を渡したために、機嫌を損ねることはないのです。

他者から承認や依頼をされて気を悪くする人はあまりいません。

形からでもいいので、相手を褒める癖を身につけておきましょう。

 

「言葉の菓子折り」

やわらかくて、なじみやすくて、ホッとできる素敵な表現ですね。

 

 

f:id:nov172017:20180709211202j:plain